■ 庚申庵の歴史 ■

 ■ 庚申庵とは…
 庚申庵は、寛政12年(1800年)、松山の俳人栗田樗堂(くりたちょどう)が、名利を捨て、俳諧に専念するために建てた草庵です。
 俳人の草庵にふさわしい質素なつくりで、柱は、8cm角に満たない原木の丸みを残した面皮柱(めんかわばしら)、屋根を支える梁や桁も最小限の木材で建てられました。
 当時、付近に「古庚申」と呼ばれる祠があったことと、建てられた寛政12年の干支が「庚申」であったことから、『庚申庵』と呼ばれるようになりました。
 俳友たちとの交流を願って建てられたこの庵は、滋賀大津で芭蕉が暮らした『幻住庵(げんじゅうあん)』に倣って建てられており、庵の建物に限らず、その庭についても、藤や泉水などのひとつひとつが、芭蕉に倣って風雅を求めた樗堂の空間として、大切な意味を持っています。

 ■ 樗堂後の庚申庵
 樗堂が去った後にも、庚申庵は、また別の人によって、時には客人をもてなす場として、はたまた生活の場として、利用されてきました。
 所有者のニーズに合わせた増改築や修理なども繰り返されてきましたが、幸い、創建時の部分については大きな改変が加えられることなく受け継がれてきました。
 元々、草庵とは僧や世捨人が雨露をしのぐために建てる粗末な家であり、住む人がいなくなればすぐに雨漏りなどによって腐って朽ち果ててしまいます。実際、江戸俳人の草庵で創建当時そのままの姿をとどめているものはほとんどありません。
 そのような中、庚申庵は現在に至るまで当時の姿と風情を残しており、昭和24年(1949年)には愛媛県史跡に指定されるなど、全国的に見ても数少ない、かつての文化や生活を知る上でたいへん貴重な文化財なのです。

 ■ 大修復、そして史跡庭園へ
 創建以来ずっと存続してきた庚申庵でしたが、200年という年月を経ることで、これ以上の存続が困難であるほどに老朽化が進んでいました。
 存続の危機にさらされていた庚申庵でしたが、これを平成12年(2000年)、松山市が、公有化の上で修復・保護し、活用することを決定。翌年には解体調査と修復工事が開始されました。修復にあたっては、増改築部分を取り払うなど、可能な限り創建当時の姿に修復することとなりました。
 そして平成15年(2003年)5月、庚申庵は現在のような史跡庭園として開園されました…。
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